<池田大作氏、世界の要人・識者との主な会見、対談(1)>
池田SGI会長は「平和主義」「文化主義」「人間主義」を掲げ、世界の指導者や識者らと真摯な対話を展開してきている。以来、これまで重ねてきた対談は、公式なものだけでも1600回を超え、すべての人間が光り輝く「人類の希望と平和」の扉を開こうと人間主義の友情のネットワークを広げている。
ゴルバチョフ元ソ連大統領は、SGI会長に語った。「あなたはご自身の平和旅によって、鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました!」と。
さらに、SGI会長は、恒久的平和をめざし、相互理解を確認し、文化・教育の開拓を、「生命尊厳」「人間主義」を基調に、「平和の対話」は、いまも続いている。
これらの中には、「対談集」へと結実し、発刊されているものもある。
<Updated
Nov 22, 2004>
<コスイギン首相と、1974年9月モスクワ> <周恩来総理と、1974年12月北京>
・コスイギン「あなたの根本の思想は何ですか」
・池田 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。
その根底は人間主義です」
・コスイギン「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」
…………
・池田 「中国は侵略主義ではないと思います」
「中国はソ連の出方を気にしています。
ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」
・コスイギン「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」
・池田 「それを中国の首脳に、そのまま伝えてよろしいですか」
・コスイギン「結構です」
3カ月後、池田会長は中国を再訪し、中国側要人にソ連側の意向を伝えた。
(『私の世界交友録2』「コスイギン ソ連首相」全集123巻、
聖教新聞、2004年11月16,17日付より)
<トウ小平副総理と、 <キッシンジャー長官と、
1974年12月北京> 1975年1月ワシントン>
「中ソ対立」の最中、緊張緩和を図り、対立の解消を目指し、
半年の間に米中ソ3国の首脳と語り合う。
「“中ソの紛争を、東西の対立を、いや、この世から戦争を、絶対になくさねばならぬ。その道を開
くのは対話しかない”その不動なる信念のもとに、彼は走りに走り、語りに語り抜いた。」
(小説『新・人間革命』「対話
55」、2004.10.8付より)
「私は一民間人にすぎないが、平和を願う一人の市民として、人間として、また仏法者として、私な
りに力を尽くしてきた。 各地に平和の礎を築き、橋を架けてきた。懸命に、人類が平等に幸福を
満喫できる、世界広布の布石を打ってきた。新しい人間主義――ここにしか21世紀の希望はない。」
(聖教新聞、2004.10.30付より)
(年月は初会談年月を示す。肩書は当時。)
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1972.5 |
イギリス |
トインビー博士(歴史学者) |
|
1974.3 |
パナマ |
ラカス大統領 |
|
1974.6 |
中 国 |
李先念副首相 |
|
1974.9 |
ロシア (旧ソ連) |
コスイギン首相 |
|
1974.12 |
中 国 |
トウ小平副総理 |
|
1974.12 |
中 国 |
周恩来総理 |
|
1975.1 |
(国連) |
ワルトハイム事務総長 |
|
1975.1 |
アメリカ |
キッシンジャー元国務長官 |
|
1975.4 |
カンボジア |
シアヌーク殿下 |
|
1978.9 |
中 国 |
トウ穎超全人代副委員長 |
|
1979.2 |
インド |
デサイ首相 |
<トウ穎超女史と、 <ラジブ・ガンジー首相と、
1979年4月12日東京> 1985年東京>
|
1979.2 |
インド |
ナラヤナン氏(後のインド大統領) |
|
1980.4 |
中 国 |
華国鋒国家首席 |
|
1981.2 |
メキシコ |
ロペス大統領 |
|
1981.5 |
ロシア (旧ソ連) |
チーホノフ首相 |
|
1983.11 |
中 国 |
胡耀邦総書記 |
|
1984.2 |
ブラジル |
フィゲイレド大統領 |
|
1984.3 |
ペルー |
ベラウンデ大統領 |
|
1985.6 |
(国連) |
デクエヤル事務総長 |
|
1985.11 |
インド |
ラジブ・ガンジー首相 |
|
1986.7 |
アルゼンチン |
アルフォンシン大統領 |
<マハティール首相と、 <リー・クアンユー首相と、
1988年マレーシア> 1988年シンガポール>
|
1986.12 |
アメリカ |
ガルトゥング博士(平和学の権威) |
|
1986.12 |
メキシコ |
ウルタード大統領 |
|
1987.2 |
パナマ |
デルバイエ大統領 |
|
1987.2 |
ドミニカ |
バラゲール大統領 |
|
1987.5 |
ロシア (旧ソ連) |
ルイシコフ首相 |
|
1987.6 |
フランス |
シラク首相 |
|
1988.2 |
タ イ |
プーミポン国王 |
|
1988.2 |
マレーシア |
マハティール首相 |
|
1988.2 |
シンガポール |
リー・クアンユー首相 |
<サッチャー首相と、 <ミッテラン大統領と、
1989年ロンドン> 1989年パリ>
|
1988.4 |
ベネズエラ |
ルシンチ大統領 |
|
1989.2 |
ケニア |
モイ大統領 |
|
1989.3 |
アメリカ |
ラウン 核戦争防止国際医師の会会長 |
|
1989.4 |
中 国 |
李鵬首相 |
|
1989.5 |
イギリス |
サッチャー首相 |
|
1989.6 |
フランス |
ミッテラン大統領 |
|
1989.6 |
スウェーデン |
グスタフ国王 |
|
1989.6 |
スウェーデン |
カールソン首相 |
|
1989.9 |
ウルグアイ |
サンギネッティ大統領 |
<ゴルバチョフ大統領と、 <マンデラ氏と、
1990年モスクワ> 1990年東京>
(91年春に訪日する意向を表明)
|
1989.10 |
オーストリア |
フラニツキ首相 |
|
1990.5 |
中 国 |
江沢民総書記 |
|
1990.7 |
ロシア (旧ソ連) |
ゴルバチョフ大統領 |
|
1990.10 |
南アフリカ |
マンデラ・アフリカ民族会議副議長 |
|
1990.11 |
トルコ |
オザル大統領 |
|
1990.11 |
ザンビア |
カウンダ大統領 |
|
1990.11 |
ブルガリア |
ジェレフ大統領 |
|
1990.12 |
ノルウェー |
ルードカルド オスロー国際平和研究所長 |
|
1991.4 |
フィリピン |
アキノ大統領 |
<アキノ大統領と、 <ヴァイツゼッカー大統領と、
1991年フィリピン> 1991年ドイツ・ボン>
|
1991.6 |
イギリス |
メージャー首相 |
|
1991.6 |
ドイツ |
ヴァイツゼッカー大統領 |
|
1992.2 |
インド |
シャルマ副大統領 |
|
1992.2 |
インド |
ベンカタラマン大統領 |
|
1992.4 |
ナイジェリア |
オバサンジョ元国家元首 |
|
1992.4 |
チェコ |
ハベル大統領 |
|
1992.6 |
エジプト |
ムバラク大統領 |
|
1992.6 |
南アフリカ |
デクラーク大統領 |
|
1992.9 |
インドネシア |
スハルト大統領 |
<ハベル大統領と、 <ムバラク大統領と、
1992年東京> 1992年エジプト>
|
1992.11 |
チ リ |
エイルウィン大統領 |
|
1992.12 |
トルコ |
デミレル首相 |
|
1993.1 |
アメリカ |
パークス女史(アメリカ公民権運動の母) |
|
1993.2 |
アルゼンチン |
メネム大統領 |
|
1993.2 |
パラグアイ |
ロドリゲス大統領 |
|
1993.2 |
コロンビア |
ガビリア大統領 |
|
1993.4 |
マレーシア |
アズラン・シャー国王 |
|
1993.5 |
フィリピン |
ラモス大統領 |
|
1993.6 |
カナダ |
ハンフリー博士(「世界人権宣言」起草者) |
<ガビリア大統領と、 <ローリングス大統領と、
1994年東京> 1993年東京>
|
1993.5 |
フィリピン |
ラモス大統領 |
|
1993.6 |
カナダ |
ハンフリー博士(「世界人権宣言」起草者) |
|
1993.10 |
ガーナ |
ローリングス大統領 |
|
1993.11 |
エルサルバドル |
クリスティアーニ大統領 |
|
1993.12 |
(国連) |
ガリ事務総長 |
|
1994.1 |
アメリカ |
ハーディング デンバー大学教授 |
|
1994.3 |
エクアドル |
バジェン大統領 |
|
1994.6 |
イギリス |
チャールズ皇太子 |
|
1994.9 |
コスタリカ |
アリアス元大統領 |
<ワレサ大統領と、 <カストロ議長と、
1994年東京> 1996年キューバ>
|
1994.11 |
チ リ |
フレイ大統領 |
|
1994.12 |
ポーランド |
ワレサ大統領 |
|
1995.9 |
ジブチ |
グレド大統領 |
|
1995.11 |
ネパール |
ビレンドラ国王 |
|
1995.12 |
アルゼンチン |
エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者) |
|
1996.5 |
ベリーズ |
エスキベル首相 |
|
1996.5 |
コスタリカ |
フィゲレス大統領 |
|
1996.6 |
アメリカ |
ハイヤー サイモン・ウィーゼンタール ・センター会長 |
|
1996.6 |
キューバ |
カストロ議長 |
<胡錦濤国家副主席と、
1998年東京>
|
1997.9 |
アメリカ |
クリーガー 核時代平和財団所長 |
|
1997.9 |
インド |
ハリム 国連協会世界連盟会長 |
|
1997.10 |
インド |
グジュラール首相 |
|
1998.2 |
スペイン |
ドン・フアン・カルロス一世国王 |
|
1998.4 |
南アフリカ |
ムベキ副大統領 |
|
1998.4 |
中 国 |
胡錦濤国家副主席 |
|
1998.10 |
サハ共和国 |
ニコラエフ大統領 |
|
1998.12 |
タンザニア |
ムカパ大統領 |
|
1999.3 |
サハ共和国 |
ヴラーソフ首相 |
|
1999.5 |
コロンビア |
パソトラナ大統領 |
<オバサンジョ大統領と、 <ワヒド前大統領と、
2001年東京> 2002年東京>
|
1999.6 |
フィリピン |
エストラダ大統領 |
|
1999.12 |
韓 国 |
李寿成・元首相 |
|
2000.10.20 |
タ イ |
アナン元首相 |
|
2000.11.13 |
トンガ王国 |
ツポウ4世国王 |
|
2000.11.23 |
シンガポール |
ナザン大統領 |
|
2000.12.5 |
中 国 |
陳方安生・香港政務長官 |
|
2001.2.16 |
モンゴル |
エンフバヤル首相 |
|
2001.3.6 |
(国連) |
ルベルス国連難民高等弁務官 |
|
2001.9.8 |
サンマリノ共和国 |
ロンフェルニーニ、ベラルディ両執政 |
|
2002.3.27 |
エクアドル |
ノボア大統領 |
|
2002.4.3 |
インドネシア |
ワヒド元大統領 |
|
2002.6.14 |
パラオ共和国 |
レメンゲサウ大統領 |
|
2002.10.24 |
ガーナ |
クフォー大統領 |
|
|
|
|
(掲載著書としては、「忘れ得ぬ出会い」毎日新聞社、「心に残る人びと」角川書店、
「私の世界交友録(1,2)」読売新聞社、「世界の指導者と語る(1,2)」潮出版社、
「新たなる世紀を拓く」読売新聞社、「大道を歩む(1〜4)」毎日新聞社、
「池田大作全集(21,122,123,126巻)」聖教新聞社発刊、その他に収録。)