〈シリーズ〉「戦争を知らない世代へT」(全56巻)
第3巻 長崎編@ ピース・フロム・ナガサキ

〈創価学会青年部反戦出版委員会編〉定価 \900 (ソフトカバー:\680)
第三文明社 昭和49年(1974年)8月9日 初版第1刷
はじめに(pp.1-2)

 一瞬にして緑の大地を焦土と化し、約十五万人もの犠牲者を出した原子爆弾が長崎に投下されて、はや二十九年が経過した。だが、今も「原爆」は生きている。

 平和を求め、願う人びとの叫びを嘲笑するかのように、人類のみならず地球をも破壊するほどの核兵器が蓄積されるにいたっている。核兵器の開発、巨大化に伴っての実験は、広島や長崎と同じ犠牲者を出したビキニを含めて千回にも及び、生あるもの全てを死滅させる方向に向かっている。

 また、高齢化する被爆体験者と戦争を知らない世代との意識の隔絶は、被爆体験の風化を加速度的に進め、人類の悲願たるべき「二度と核兵器の使用を許すな!」との叫びさえも空虚な響きになろうとしている。

 長崎に住むわれわれは、この厳しい現実を直視しつつ被爆体験の伝承および原水禁運動の継承の責任と使命を遂行せんとして、昨年八月に「原水爆禁止長崎平和集会」を開催するに至った。席上、大会宣言の一項で「被爆体験集」を被爆三十周年(注・昭和五十年)までに出版することを謳い、地道ではあるが着実に準備を進めてきたのである。その機運の高まりが今回ここに第一巻発刊の運びとなったことを何よりも嬉しく思う。

 ほとんどの人が初めての証言であり、一字一句に貴重な平和への叫びを感じとる思いであるが、ある人は目に涙を浮かべ、握る拳をワナワナとふるわせて訴えかける姿に接するにつけ、困難ではあったが発刊事業を決意し、取り組んでよかったと痛感している。願わくば、ピース・フロム・ナガサキ(平和は長崎から)と標榜する多くの人たちの発露から、世に出る機会に恵まれた本書を、一人でも多くの人が一読され、核戦争の抑止力ともなるべき被爆体験を肉化して、一人一人の生命の中に強固な平和の砦≠築きつつ、反戦・平和の意識啓蒙運動推進への連帯を深めていきたいと念じてやまないものである。

昭和四十九年八月九日

創価学会青年部
長崎県反戦平和委員会委員長 小森一興

目次

(入力者注 執筆者の氏名を省略しました)

はじめに 1

●第1章
左腕には今もガラスのかけらが
親兄弟、最愛の一人息子までも皆殺しに
この傷は平和遺産
医薬もなく木綿針で傷口を縫う
残酷に引き裂かれた平和な家庭
鋳型に押し込められた身体
忘れることのできない日
戦争で苦しむのは国民
再軍備主張者に見せたかった惨状
寂しい同窓会
一人、二人と逝く同級生
防空壕を埋める惨死体
人間らしさを捨てさせる戦争
級友が目の前で炎の中に
被爆後二十年目に原爆症の宣言
遺骨箱には自分の名が
オレンジ色の光ですべてが狂った
死の淵を二度までさまよって

●第2章
「お母ちやん熱いよ」と死んでいった長男
亡き人に代わり平和への努力を
脳裏から離れない犠牲者の顔
まさか落下傘が爆発するとは
火がついたような背中の痛み
忘れないこと、それが歯止めに
広島の原爆記事を読む最中に
我が家の焼跡には白骨三体
泣き叫ぶ朝鮮人の声と姿
太陽の光が消え地球の最後かと
父は写真で埋葬、やがて母も
光に襲われ焦げた腕

●第3章
容易に離れない原爆病の宿命
喘ぎながら生きつないだ二十九年間
被爆者の心の中の爪跡は消えない
被爆体験の語部として生きねば
救援活動で駆け回わった現場
背中から息がもれる
一瞬にして六人の家族全員を失う
「父さんの顔は黒くなってこわい」
人間連帯のスクラムをめざして
原水爆ある限り安心できない
二十数年後に父母は原爆病死
随所に転がる黒焦げの遺体
地獄の叫び渦巻く海軍病院
「かんにんして、私は恐ろしいのです」



●第4章
復活する戦争体験への追慕
まだ何も解決されていない
原水禁運動を市民の手に
原爆による障害
反核証言の炬火よ燃えろ
平和の本質は「たたかい」
原爆被災資料の推進を
「援護法」「非核三原則」立法化実現のために
被爆伝承の意義
平和時の平和運動こそ大事
世界恒久平和の理想達成をめざして

編集後記 292

★写真提供 長崎市

編集後記(pp.291-292)

 長崎県反戦平和委員会並びに長崎県憲法研究会のメンバーを含めた編集スタッフは、私を除いてはほとんどが二十代。いわゆる戦後っ子の戦争を知らない世代の面々である。

 最年少のF・K子さんは二十一歳。昨年成人式を終え、大人に仲間入りしたばかり。第二次大戦はおろか。戦後の復興作業も知らず、泰平の世にスクスクと育ってきた現代っ子の代表でもある。その彼女や他のメンバーをして余暇をさき、労をいとわず、青春のエネルギーを燃えたぎらせ編集作業に挺身せしめたのは、極限の労苦と辛酸をなめた被爆者たちの貴重な体験を決して無にしてはならない、せめてもの願いとして二度と戦争を起こしてはならないーとの切なる訴え、無言の支えがあったればこそであろう。

 戦争―被爆―の経験、未経験を越え、人間として何ものをしても侵しがたい生命の尊厳を守るという、偉大な理念に立脚した平和への本能的使命と責任と、やむにやまれぬ心情の発露がそこはあつたのである。

 とはいえ出版作業は、一同ズプの素人ばかり。一進一退の編集作業の中で私たちは、どのような理由があれ、興味本位や通俗的そしりを受けないため、まず、自ら既成の小さな人間の垣根、ワクを越え、何事にも絶えず挑戦しようとの姿勢で努力したのである。その努力の結晶として、目には見えないが数多くの教訓や知識を一人一人が財産として得ることができた。

 五体に異常もなく捜しに駆け回った家族が翌日急死して、頭が割れ生きているのが不思議なほどの傷を負った人が今、元気でいる姿など、種々の体験に触れで人間の宿命≠ニいうものについて深く考えさせられたりもしたのである。

 ともあれ、安産とはいえないかもしれないが、ここに刊行の産ぶ声を上げた。戦争および被爆を知らない私たちと、同世代に対する意識啓蒙の一助としての原体験集を残す第一歩を踏み出すことができたのである。これもひとえに先輩諸兄並びに寄稿をいただいた各界代表の方々の真心あふれる声援のたまものとスタッフ一同、深く感謝している次第である。

 私たちはこの一書を足掛かりとし、反戦平和の意識をさらに拡大高揚させ、戦争の歯止めの一翼、否地球上から一切の戦争と悲惨を絶滅させるまで正義の言論、平和の旗を握り続けるものである。願わくば、貴重な原体験を人類共有の生命次元の遺産へと高め、次代へ伝えていきたいと念じてやまない。

昭和四十九年八月九日

創価学会青年部
長崎県反戦出版委員会委員長 小林喜丸。
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