鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』全6巻 改造社 昭和9年

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鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』全6巻 改造社 昭和9年

鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』全8巻 潮出版社 潮文庫 昭和46年

鶴見祐輔訳『バイロン』 潮出版社 潮文庫 昭和46年

鶴見祐輔訳『ディズレーリ』 潮出版社 潮文庫 昭和45年

鶴見祐輔訳『ナポレオン』 潮出版社 潮文庫 昭和44年

参考サイト 

鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝


鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』全6巻 改造社 昭和9年

鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』第4巻 改造社 昭和9年8月20日
(巻頭より)

(入力者注:本文は旧かな・新漢字を使用した。振り仮名(旧かな)は丸かっこ、人名のギリシャ読みは〔 〕に入れた)


 プルターク全訳を終りて

     一

 昨年の初冬以来、約一年間手がけてゐたプルターク英雄伝の全訳が、今朝をもつて終(をは)つた。ギボンが二十七年かかつて、羅馬(ローマ)衰亡史を書き終つたときの感慨を想望する。一年ほどの仕事がすんでも、これだけほつとするものである。一生を捧げての修史の業の終つたときの彼の心中が思ひやられる。

 私はこのプルターク英雄伝を訳しつつ、幾多の教訓を味(あじは)つた。ことに古代希臘(ギリシア)と古代羅馬(ローマ)の国々の、栄枯盛衰を眺めつつ、躍進途上にある我が日本の姿を思ひ見ざるを得なかった。希臘(ギリシア)人と羅馬(ローマ)人には多くの欠点があつた。しかし彼等の有したる美徳も亦、決して尠少(せんしょう=少ない)ではなかった。

 吾人(ごじん=わたし)は何ものを希臘(ギリシア)より学び、何ものを羅馬(ローマ)より学ぶべきか。

     二

 茲(ここ)にプルターク英雄伝を読まるる人々の、注意さるべきことは、本伝に記すところの人傑(じんけつ)は、多くは軍人と政治家であつたということである。さうして軍事と政治とは、羅馬(ローマ)の特技であつたのである。希臘(ギリシア)の偉大はその文芸、哲学、科学詩歌(しいか)にあつた。しかるにプルタークは、これ等(ら)の方面に卓越せる人々を伝してゐないのである。彼は伝したりとするも今日は伝わつてゐないのである。ゆゑに軍人と政治家のみをもつて、希臘(ギリシア)と羅馬(ローマ)との大小を比較することはできないといふことである。

     三

 古代希臘(ギリシア)人は、まことに珍らしい人間であった。彼等は純正なる真理を探究する燃ゆるがごとき科学精神を持つていた。ゆゑに彼等の中からは世界科学の鼻祖と呼ばるるアリストートル〔アリストテレス〕を生んだ。しかし彼等は又徳行(とくかう)を尚(たふと)び、清明なる善を欣求(ごんく)する火のごとき良心を持っていた。ゆゑに西洋道徳の淵源といはるるソクラテイース〔ソクラテス〕を生んだ。しかし何といつても古代希臘(ギリシア)人を不朽にするものは、純清(じゆんせい)高雅なる美に対する憧憬(あくが)れである。しかもかかる芸術的心境が、少数の精神的貴族の間にのみ局限せられずして、一般市民の間に普及浸潤したることである。アゼンスの民衆が、エスキラスの悲劇を、魂飛び神往くがごとき感興をもつて眺めたる光景は、千歳(せんざい)の後(のち)尚(な)ほ我れ人をして、一味(いちみ)慕望(ぼばう)の情に堪へざらしめる。

 ことに彼等の手に成りたる作品が、食器、家具の末に至るまで、悉(ことごと)く純清なる審美観をもつて一貫したるの一事は、後世所謂(いはゆる)文明国民をして、顧(かへり)みて忸怩(ぢくぢ)の情に打たれしめる。

 『亞典(アゼンス)の町より掘り出(い)でんほどの物は、破片断塊(だんくわい)悉く美(うるは)し』とは、希臘(ギリシア)研究の権威マレー教授の嘆声である。そこに古代希臘(ギリシア)の永久に亡(ほろ)びざる偉大性がある。

 彼等にとつては芸術は消閑の末技(まつぎ)でなく、また空(むな)しき生活の装飾ではなかつた。美のうちに真と善との一切を盛つて、古今の間に独住(どくぢう)する力を顕示せんとしたのだ。

 さうして彼等は、かかる人生の美を顕現するために、中庸と単純と勇気との諸徳を養つた。

 かかる希臘(ギリシア)精神の代表者として、我々はプルターク英雄伝中に、ペリクリーズ〔ペリクレス〕とアリスタイデイーズ〔アリスティデース〕を眺めた。

     四

 羅馬(ローマ)に至つては、大いに希臘(ギリシア)と趣(おもむき)を異(こと)にする。

 羅馬(ローマ)の偉大は文化ではなかつた。彼等の偉大は、実に雄大なる世界帝国を建設し、それに必要なる諸徳を磨いたことである。

 世界帝国を目指したるものに、歴山王(アレキサンダー)あり、成吉思汗(ヂンギスカン)あり、唐の太宋(=太宗)あり、マホメツトあり、奈破崙(ナポレオン)あり近代英国があつた。

 併(しか)しながら、これ等いづれの大国と雖(いへども)、その規模の雄大と恒久性とにおいて、到底羅馬(ローマ)帝国に匹儔(ひつちう)するにと得ない。これは上記の大帝国が、多くは個人の所産であつたに反し、羅馬(ローマ)の大帝国はその民族全部の合作であつたからである。それは一人のポムペイ、一人のシーザー〔カエサル〕、一人のオーガスタス〔アウグスティヌス〕の所産ではなかつたのである。

 羅馬(ローマ)の市民達は、かの「さい爾」〔さい=(くさかんむり+最〕(=非常に小さいさま)たる七丘(しちきう)の上に起(おこ)り、遂に欧弗亞(おうふつあ=ヨーロッパ・アフリカ・アジア)の三大陸を征服し、よく千年に亘る世界帝国を建設した。

 我れ一日(いちじつ)、旅して羅馬(ローマ)に到(いた)り、古代羅馬(ローマ)人の天神(てんじん)ジユピターを祀(まつ)るところのパンテオンの大伽藍(だいがらん)に入(い)る。殿宇(でんう)高きこと百尺。中央に方(ほう)四十余間(よけん)の丸窓を開き、日輪を仰ぎ、名月を招き、而(しかう)して、沛然たる雨を迎ふるのよすがとす。時に晩夏、一天拭(ぬぐ)ひたるごとき朝(あした)、我れの歩(ほ)して殿宇に入(い)るや、驟雨(しうう)倏然(しゆくぜん=たちまち)として到り、銀線千條(せんでう)日(ひ)に輝きつつ、淙々(せんせん=ママ、淙の音はソウ)として大理石床(だいりせきしやう)に落下す。四辺は花崗岩の壁、正面に天神を祭るの檀あり、ただ千珠万顆(せんじゆばんくわ、顆は〔つぶ〕)の飛沫、大伽藍の床上(しやうじやう)に跳(をど)る。

 生まれて未(いま)だ斯(かく)のごとき壮観を見ず、私は思はず惻々(そくそく)として全身の戦(おのの)くを覚えた。

 古代羅馬(ローマ)人は、かくのごとき気宇をもつて、神を祭り、雨をまねき、しかして、全世界を征服したのである。

 彼等の気宇は、全坤(ぜんこん)輿(よ)を呑吐(どんと)した。彼等の腹中(ふくちう)無一物、たゞ世界万邦の民を容(い)るるの雅量を持ってゐたのだ。

 ゆゑに彼等の生んだ英雄児は、百難の前に奮(ふる)ひ立ち、大敵を前にして勇躍した。

 ゆゑに彼等は、マーセラス〔マルケルルス〕を生み、シーザー〔カエサル〕を生み、ポムペイを生み、ケートー〔カトー〕を生んだのだ。

 希臘(ギリシア)と共に羅馬(ローマ)は、永久に世界史上から消えないであらう。

     五

 いま陽(ひ)、太平洋上に躍(をど)らんとし、金鱗(きんりん)波に砕けて、暁色(げうしよく)陸離(りくり)たり。知らず、太平洋時代の風雲に駕(が)し、祖国日本のために、ペリクリーズ〔ペリクレス〕たり、シーザーたらんものは誰(たれ)ぞ。

   昭和九年八月八日
             軽井沢亦山堂に於いて
                        祐 輔 記 す
                       (祐=示+右)

鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』全8巻 潮出版社 潮文庫 昭和46年


鶴見祐輔訳『バイロン』 潮出版社 潮文庫 昭和46年

鶴見祐輔『バイロン』潮文庫 昭和45年5月20日発行/昭和46年4月25日 4刷

第二章 明日天にのぼる

 四 一代の寵児(ちょうじ)

  一朝にして眼ざむれば
  はや有名となりにけり

 それは『チャイルド・ハロールド』の出版された翌月の末、バイロンの発した言葉であった。
 この一書をもって、彼は完全に英国を捕らえたのである。
 武将が一戦して天下をとり、政治家が一回の演説をもって内閣を起伏するがごとく、文筆の士は時として、一巻の書をもって社会を震撼(しんかん)することがある。しかしながら、戦没と議会討論と異なり、文章は一気に社会全般を圧倒することはまれである。もし史上にこれありとすれば、バイロンの『チャイルド・ハロールド』はその唯一無二の適例であろう。それほどバイロンの成功は華やかであった。

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    一

「霊(たましい)は剣よりも強し」
 それはナポレオンの言葉であった。
 百戦百勝の武将と天下の考えたナポレオンにとってじつは、戦争は従、外交が主であった。いな、外交は末、思想が本であった。
 ゆえに彼は一戦する前に、かならず一大宣言を発して、国内と国外の思想に呼びかけ、一戦したる後には、かならず一大声明を発して、破りたる敵の心を捕えんとした。何となれば彼は永久的解決は、ただ思想によって達成しうべしと考えたからである。
 人間の思想を、もっとも深刻に動かすものは、大宗教家と大詩人である。
 人間バイロンは、その熱烈焼くがごとき詩筆をふるって、十九世紀初頭の欧州を震撼(しんかん)した。
 彼の声は天の声のごとく、地上万民の胸を射とおした。彼の真実は宇宙の大実在のごとき迫力をもって、一般大衆の頭上に落下した。

 ゆえに十九世紀中葉の欧州における大民衆運動は、ほとんど彼の鼓吹し刺激したる情熱のうちから湧いた。
 統一ドイツの英雄ビスマークは、一生を通じてバイロンの詩集を手離さなかった。
 統一イタリアの巨人カヴールは、バイロンの詩集の熱愛者であった。
 イタリア統一の心霊的父親であったマジ二ーは、泣いてバイロンを読んだ一人であった。
 近代フランスの民権自由の源泉であったユーゴーは、バイロンの詩文の中から、その感激をくんだのであった。
 これ詩聖ゲーテをして、バイロンは十九世紀の最偉大なる天才なり、と叫ばしめたる所以(ゆえん)である。
 パイロンの筆をとおして流れ出でたる彼の霊(たましい)の力が、いかに雄渾博大であったかが、うかがわれる。
 人類が自由と愛国と民族的独立と個性の発揚に対する思慕渇仰を失わざるかぎり、詩人バイロンの気魄(きはく)は、永久に地上を闊歩(かっぽ)してやむ時がないであろう。

    二

「天に声なし、人をして言わしむ」
 それが大詩人の事業である。
 地上万億の大衆の胸にうずきて、しかも何人もこれを表現する能わざるところを、その純情的直観をもって一気に悟入(ごにゅう)し、これをつかんで世界万民の頭(こうべ)の上に叩きつけるのが、一に大詩人のみの有する超人的能力である。
 バイロンが十九世紀欧州の地理を変ゆるがごとき力として、志士義人の心魂を揺り動かしたるは、彼の声は天の声であり、彼の感覚は全人類の感覚であったからである。
 ゆえに彼は、時間と空間とを超越し、国境と人種とを跳躍する一大存在であるのだ。

    三

「長き夜を泣き明したものにあらずんば、もって人生を語るにたらず」
 哲人カーライルは喝破した。
 すべての偉大なるものは、涙のうちより生まれる。苦悩と窮迫の間よりほとばしり出でる。
 バイロンその性超凡絶倫なりというも、その生にして安逸和平ならしめば、いずくんぞよく精彩(せいさい)奕々(えきえき)古今に独歩するの詩才を養わん。彼がその詩文によって天下後世を動かす、かくのごとく深刻悲壮なるは、その地上三十六年の生涯の悲惨暗澹(あんたん)たるによれり。
 何ぞその人の能力ゆたかにして、天下のその人を遇するの冷酷なりしぞ。彼は涙のうちに生まれて、涙のうちに死した。その一時の盛名と富貴と遊蕩とのごときは、彼にとっては大空一片の断雲、風に消ゆる一瞬目前の空事にすぎなかった。
 彼の真骨頂は、その雄渾(ゆうこん)なる天才、用ゆるところなく、異国流離の間、燭をきって、わが血を紙にそそぎ、わが骨を鷲管(がかん=ペン)にかえて、後世に移したるにある。
 しかも、その死の何ぞ壮烈なるや。

     四

「人間の生涯の美しくあるためには、その最期は悲劇でなくてはならない」
 オスカー・ワイルドの言葉は、われらの胸をうつ。
 バイロンの自由民権を賦(ふ)し、専制排撃を筆にするや、時人はただこれを目して、閑人の閑事業と眺めた。
 何ぞ知らん、この一見風にもたえぬ風流貴公子の心内、猛然月にうそぶく獅子王の気概あらんとは。
 彼のギリシャ民衆のトルコ政府に対して、法立自由の義旗をかかぐと聞くや、敢然として身を挺し、私財百万を投じ、義軍を募りて、この国に救援し、瘴癘(しょうれい=気候・風土のために起こる伝染性の熱病・風土病)蛮雨(ばんう)の間、兵士とともに粗衣粗食すること一歳、ついに熱病に犯されて異境の骨となった。
 しかも、バイロンの死は全欧州を震撼(しんかん)し、ギリシャ独立の偉業ついになる。
 その地上の生、わずかに三十六、しかもその死後の生、何ぞおおいにしてしかして悠久なるや。
 花ならば桜、一陣の風に散って、吉野満山をうずめつくすの壮烈、吾人これを熱情詩人バイロンに見る。

  昭年十年八月
                       於軽井沢山堂
                            祐  輔

(入力者注:昭年は昭和の誤りか)
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