作者不詳 學藝書林 第1巻
田村隆一訳 あとがき
 作者不詳『我が秘密の生涯』第1巻 田村隆一訳
 學藝書林 昭和50年2月15日 第1刷発行
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あとがき

       

 第一巻を通読しおわって、さて、いま、読者は、この本をいかなる図書のジャンルに組みいれようとされるであろうか。要するにポルノさ、とかたづけられるであろうか。――なるほど、全巻を通じてエロティックな場面は随所に現われてくるし、その表現もきわめて自由大胆、作者のペンは畏縮することを知らない。けれども、いわゆるポルノなるものは、そのような場面の珍奇異常な展開そのものが伝達の主たる目標なのであって、多少の筋立てというものも、ただ、場面の展開をまことしやかにささえているだけの趣向にすぎない。『我が秘密の生涯』にあっては、そこがちがう。そこにはひとりの現実の人間が生き生きと行動していて、その行動がはなはだ尋常でないにはしても、その克明な記録が率直に読者に提供されているのである。ウォルターという名で主人公を呼んでいる、この無類な記録の作者も、ポルノじゃないさ、とひとこと言って、あとはただ苦笑するだけであろうか。――ときとしてこの本に与えられる、《まぼろしの名著》という評語も、考えてみれば、妙なものである。なるほど、原本初版の部数は極端にすくない。一八九〇年前後と推定されるころ、著者の注文によって、アムステルダムで印刷に付された、クラウン八つ折判全二巻、総計約四、二〇〇ページのこの私家版は、印行わずかに六部の根定版で、その各部の行方は好中家の興味をそそってやまない探究の題目である。しかし、いまでは、信頼するにたる複刻版が入手可能であり、それをわれわれも眼にすることができる。その名のみ高くして、それをしたしく眼にすることのできないような、《まぼろしの名著》ではないわけだ。が、その作者がなにびとであるか、という問題が大きな《?》つきのまま残されていて、いまにいたるまでつきとめられていないという事情があって、やはりどこか《まぼろし》めかしい印象が、色こくこの本にまとわりついているのである。

       

 作者はたれか? 状況証拠はあれこれと豊富にあるけれども、さて、これと断定するにたるだけのキメテとなるべきものは、なにひとつ存在しない。しかし、消息通の提出する推定がようやく一点にしぼられつつあって、それは、ビクトリア朝の高名な書誌学者、艶本収集家、へンリ・スペンサー・アシュビー(一八三四〜一九〇〇)がその人であろう、ということになってきた。彼がピサーヌス・フラクシという筆名であらわした禁書(艶本)日録三部は、その造本の豪華をもってとくに有名である。――この人のロンドンの邸宅には、うつくしく整頓されたコレクションが同好の士の来観を歓迎していたという。ケントには別邸があり、さらに、パリ滞在中は、自家用アパルトマンぐらし。学問についてはもとよりのこと、諸事万端、カネに糸目はつけぬ豪勢さであったらしい。彼は外国貿易で資産をつくったもので、同志とともにロンドンに国際商社を設立、その代表者となり、パリにも支店をつくり、ハンブルクの商社とも密接な連絡があって、事業の発端は一八六〇年代のおわりということであるから、彼の三十歳代のなかば。青年実業家の颯爽たる姿を想いみるべきである。――アシュピーの海外出張がヨーロッパ大陸各地からアジア、アフリカ、アメリカにおよび、支那や日本にまでその足跡を印したというのは、まだ航空機のなかったころとしては、刮目にあたいするものであろう。それと思いあわされるのは、ウォルターの艶楽修行の行動範囲のひろがりである。彼もさかんに大陸へ出かけるのは、『我が秘密の生涯』の記述に見られるところであって、それは、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン、オランダからロシアにおよび、さらに遠く近東までその足をのはすのである。ただ、その目的がなんであったかは、彼の公生涯とともに秘匿されたままなのである。

       

 ウォルターが、名づけ親の伯父から遺産を受けたのは、二十一歳のとき。それを女遊びやギャンプルできれいさっぱりと蕩尽してしまう。お手あげとなると、彼は、別居している母親のもとへかけつけ、三拝九拝するわけで、結局のところ、なにがしかのものを、たっぷりと訓戒を添えてさげわたされるのであった。――このような時期に本書の記録、彼独特の生活の非公開面の記録の執筆がはじまるのであるが、それは、彼の二十三歳から二十五歳のあたりだと思われる。その執筆の土台となったのは、ひとつには、彼の少年時代からの日記であったが、ビクトリア朝の紳士淑女のあいだにひろがっていた習慣のひとつが、この日記なのである。執筆発端のおよそのところは、巻頭の作者自身の言葉に見られるとおりで、そこでの記述は、だいたい額面どおりに受けとってしかるべきものと思われる。――ウォルター三十五歳のころ、彼は、ゆくりなくも一大導師にめぐりあって、一気に艶道開眼の幸運をつかむ。おりから、彼は、体力旺盛、資金潤沢、大導師のフランス女と日夜とことんまで秘技をたたかわし、一方、彼女が提供する珍物奇材とひるむところなく応対、善戦四カ年にわたって、彼の経験は拡大深化の一途をたどる。その一々は詳細克明に記録され、走り書のメモは逐一整理整頓され、挿話は一条また一条とまとめあげられ、かくて、今日われわれが見るところの記録の集成へと発展していくのである。――四十歳代にはいると、彼は二度病気でたおれる。二度とも病名は明記されていないが、かなり重態のこともあったらしく、その昭たきりの安静のあいだが、たまたま記録再検討の好機となる。そのような機会に、原稿の一部は日記と照合され、事実の前後関係の確認やら、記述の欠落の補完やらがおこなわれ、メモの分類整理につれて、類似の小事件の記録が一括され、感動的な事件の記録の後尾へは評語がつけくわえられ、そのあるものには、年月をへだてて、重ねて感想が書きそえられ、さらに、日付や事件発生の地名をポカしたり、関係者の氏名をつくりかえたり、動詞の現在形を過去形にしたり、その他表現一般に統一を与えたり、という作業がすすめられた。――かく言うと、いかにも整理が重ねられ、整然たる記録の集成が提供されているかのようであるが、その章節を子細に点検すれば、事実は、大いにしからず、である。なるほど、観察の鋭敏さ、表現の適確さ、記述の丹念さ、まことにもって凡手にあらず、脱帽のほかなきようであるが、この作者は、土台、全体的整合とか、文体的統一とかいうことには興味がないので、できあがったところは、雑然たる記録の集積なのである。

       

 訳者として一言つけくわえておきたいことがある。英語の語彙のなかには、ご承知のとおり、四文字語と称せられる少数の言葉がある。児童や、学生や、医師や、街娼等々が、仲間うちでだけ愛用する、そうとう頻度のたかい一群の語であるが、辞典にはけっして採録されることがない。それについて、辞典編集者は、いずれも内容が周知徹底されていて、とくに辞典的解明を必要としないからである、と言い、また、それらを辞典から締めだしておくことに良識が賛成するからである、と言う。ウォルターの記録は、この四文字語を全面的に駆使してはばかるところがない。訳者も作者にならって胸のすくような日本文を提供したいのは、やまやまであるけれども、囲の状況は、まだそこまで熟していない。読者の諒恕を乞うしだいである。

       

『我が秘密の生涯』は性的自伝である――その経験の多種多様と、その観察の綿密警抜と、その表現の率直明快とにおいて、古今にその比類を絶する体験記事である。しかし、批評家ロバート・フェルプスは、またひとつちがった角度からの評言を聞かせてくれる――「ビクトリア朝時代において、ディケンズも、メレディスも、ジョージ・エリオットも、トマス・ハーディも、手をつけることができず、放置しておいた」当時の社会生活の一面を、大胆不敵にえがきだした一著作物である、というのである。

          一九七五・一月  訳者
 (以上、単行本 第1巻「あとがき」)
       (以下は、ロマン文庫 下巻の「あとがき」に追加された部分)

       

 神かけて言うが、本書は、性を売り物とするポルノグラフィでは、断じてない。もし、これが単なるポルノグラフィなら、作者は、こんな気の遠くなるような言葉の浪費をするはずもなく、かくも不器用で、しばしば重複するような構成やストーリイを展開することは絶対にありえないからだ。

 ここには、性と人間との深い関係が、作者の誠実で無私な態度によって、つまり、無私の精神と無償の行為によって、あざやかにとらえられている。

 幼年期の性意識から思春期の性衝動、そして青年期から壮年期にかけて展開される性の劇的なパターン、初老期の性の熟成と没落の全過程は、一文明の誕生から生成、その隆盛期とデカダンスをあつかった壮大な歴史研究(たとえば『ローマ帝国没落史』)に、優に匹敵するように、ぼくには思われてくる。

 したがって、本書を真に享受できるのは、文明人だけだ、ぼくはそう断言してはばからない。事実、本書に寄せられた詩人、小説家、各分野の学者の言葉を想起してみれば、それだけで充分な証左となろう!。

 たとえば、詩人の大岡信氏は、「この作者は性の海原を航海しつつ、未知の島を発見し上陸する喜びに没頭」する十九世紀の大航海者のイメージを頭に描き、作家の丸谷才一氏はヴィクトリア朝の文明を論じながら、明治の日本の師匠格だった十九世紀イギリス文化の影の部分に言及しながら、つぎのように言う、「ヴィクトリア朝紳士の性生活を率直に打明けたこの記録は、単に興味津々の好読物であるにとどまらず、また、近代日本の師について考えるための、さらには近代日本それ自体について考えるための、最上の材料の一つとなるだろう」

 また文化人類学者の米山俊直氏は、その学問的視点から、本書について、つぎのように書く――。

 「西欧文明の一つのクライマックスといえるヴィクトリア朝の人間像の、それも隠されがちの側面を理解していくうえで、この書物はたいへん大きい鍵を提示している。ただ一つの主題――自己の性生活Iについて語るこの生活史的モノローグは、ヨーロッパ文化の理解のために貴重な文献である」

       

 一八九〇年前後と推定されるころ、著者の注文によって、アムステルダムで印刷に付された、クラウン八つ折判全十一巻、総計約四二〇〇頁の六部限定の私家版は、二十世紀中葉にいたって、欧米先進国の大部分の市場を飾り、本書の本格的な研究書まで出現するにいたった。

 ロマン文庫の『我が秘密の生涯』は、読者のために、極力圧縮して、そのエッセンスを提供するつもりだったが、やはり、十九世紀中葉のイギリスの黄金期の明暗、その生きいきとしたディテールが捨てきれず、上・中・下の三部に編集せざるをえなかった。

 アメリカでは、グローブ・プレス杜からダイジェスト版が出ているが、これだけでは訳者としては物足らず、ここに独自に編集してみた。

    一九八二年三月
                            訳 者

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