作者不詳 學藝書林 単行本
田村隆一訳 戻る

謎の名著完訳決定版・全11巻(第1巻の帯)
 「我が秘密の生涯」はいわば性的自伝である。
――その経験の多種多様と、その観察の綿密警抜と、
その表現の率直明快さとにおいて、古今その比類を
絶する体験記録である。
 ファーブルの「昆虫記」をつらぬく不抜の精神を読者諸賢は
よくごぞんじであるが、あの長大な、とめどない記録をみたす
冷徹な観察力、精緻な描写、とてつもない忍耐力、または
探求心、それがことごとくセックスに傾注されたと考えていただ
きたい。ファーブルがヘミングウェイの文体でセックスを書いたら
こうなるだろうかと思われるのである。(作家)開高 健
世界の秘書、待望の完訳決定版!(第2巻の帯)
 セックスという人間の覆われた面について、
一人の人間の「自然のままの姿」の記録文学!
アメリカでの原書復刻されるや世界の読書人を圧倒、
瞠目させた驚異の叙事詩! !!本邦初の決定版!!
『我が秘密の生涯』は性的自伝である――その経験の多種多様と、
その観察の綿密警抜と、その表現の率直明快とにおいて、古今に
その比類を絶する体験記事である。しかし、批評家ロバート・フェル
プスは、またひとつちがった角度からの評言を聞かせてくれる
――「ビクトリア朝時代において、ディケンズも、メレディスも、
ジョージ・エリオットも、トマス・ハーディも、手をつけることが
できず、放置しておいた」当時の社会生活の一面を、大胆不敵に
えがきだした一著作物である、というのである。
訳者 田村隆一 (第1巻「あとがき」より)
謎の名著完訳決定版・全11巻(第3巻の帯) 西欧文明の一つのクライマックスといえるヴィクトリア朝の
人間像の、それも隠されがちの側面を理解していくうえで、
この書物はたいへん大きい鍵を提供している。ただ一つの
主題――自己の性生活――について語るこの生活史的
モノローグは、ヨーロッパ文化の理解のために貴重な文献
である。そのことはまた、現代ないし未来につながる世界の
理解にも大きい役割を果たすものだろう。
(京都大学助教授・文化人類学)米山俊直
(第4巻の帯)  読み出した時は、ごくありきたりのウィタ・セクシュアリスの
たぐいかと思っていたが、読みすすむにつれて、次第に驚倒し、
ひきこまれていった。この匿名作家の仕事は、鴎外のそれの
比ではない。その描写の正確さ、綿密さ、そしてなによりも、
セックスに対する態度の、驚くほど人間らしい、ほとんど剛毅と
いっていいほどの率直さに圧倒された。
(作家)小松左京
性と人間に関する問題提起の書(第5巻の帯)
 僕はこの本を読んで、著者が自分の性経験と性意識を
対象化していることにおどろいた。これは、性と人間に関する
問題提起の書物である。人間にとって性がきりはなせないもの
である以上、本書の著者がこの本を書いたときの意識を、
ぼくたちは日常的に意識化する必要があるだろう。
同志社大学教授・社会学 山本 明
“性の世界に対する人間宣言”(第6巻の帯)
……一人の人間の「自然のままの姿」の記録である。しかも、
四十年のエネルギーを傾注した、おどろくべき、率直精刻な
記録である。人間は面白いことをする。そして実に奇妙な
生き物である。われわれは、この性的告白録を読みながら、
いささか遅くやってきた、性の世界に対する、一種の愉快な
人間宣言の調子を感覚する。
(文芸評論家) 秋山 駿
遂に本邦初訳成る!(第7巻の帯)
 匿名の著者によるこの厖大な性的自伝"My Secret Life"
全十一巻は、『カザノヴァ回想録』や小説『ファニー・ヒル』
に対しても、直截な体験記録である点で、際立った問題提起
の書である。
 十九世紀のイギリス、つまりヴィクトリア朝の文明は、
われわれに重大な関係がある。男の服装から海軍まで、
ポストの色と形から偽善的道徳まで、明治の日本はじつに
多くのものを当時のイギリスに学んだのだ。が、われわれは
この先生の、いわば表面しか知らなかった。ヴィクトリア朝
紳士の性生活を率直に打明けたこの記録は、単に興味津々の
好読物であるにとどまらず、また、近代日本の師について考える
ための、さらには近代日本それ自体について考えるための、
最上の材料の一つとなるだろう。(作家)丸谷才一
この書物には、情報の時代といわれる現代の人間には
かえって失われてしまった、事実の細部(ディテイル)の
集積・記録に対する、どんらんな、偏執狂的ともいうべき
《個人》の意欲がみちあふれている。最高の完成度を持つ
現代小説に感じられぬある種の魅力が、十九世紀の一見
粗野な文章の中に見出されることがあるのはなぜか――
その理由のひとつを教えてくれるのが、ヘンリー・メイヒュー
の『ロンドンの労働と貧民』(1851)と、この書物である。
(東京都立大学助教授・英文学)小池 滋
(入力者注:《 》で囲んだ部分は傍点)(第8巻の帯)
本書の著者をヘンリー・スペンサー・アシュビー(1834〜1900)
ではなかろうかという説がある。アシュビーは実業家で、
コレクターといわれ、また大の旅行家であったともいわれている。
しかし、さまざまな推測のなかで、この驚異的な記録の著者は、
依然謎に包まれている。その秘密のヴェールのゆえに、この
書が「世界の奇書」として今なお熟読されているのである。
(第9巻の帯)
“果てしない性の歓喜の記録”(第10巻の帯)
……今は昔、人類が海洋というものを無限に広大だと信じて
いた時代の大航海者たちのことを連想せずにはいられない。
この作者は性の海原を航海しつつ、未知の島を発見して上陸
する喜びに没頭している。彼はこの海原と、開拓すべき処女地
の、無限の豊かさを信じている。この本は人間がそういう夢を
抱き、またその追求に満ち足りることができた幸福な時代の、
風変わりで驚異的な自画像だと感じられる。
(詩人)大岡 信
世界に比類なき偉大なる性の自叙伝(第11巻の帯)
第1巻刊行後、隠れたるベストセラーとして多くの愛読者を獲得した本書は、全編これ性の歓喜の記録で
あり、豊かな人間性に溢れたユニークな自伝である。ここに待望の完結編を刊行。
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 神かけて言うが、本書は、性を売り物とするポルノグラフィでは、断じてない。もし、これが単なるポルノグラフィなら、
作者は全十一巻という気の遠くなるような言葉の浪費をするはずもなく、かくも不器用で、しばしば重複するような
構成やストーリイを展開することは絶対にありえないからだ。

 ここには、性と人間との深い関係が、作者の誠実で無私な態度によって、つまり、無私の精神と無償の行為によって、
あざやかにとらえられている。

 したがって、本書を真に享受できるのは、文明人だけだ、ぼくはそう断言してはばからない。事実、本書に寄せられた
詩人、小説家、各分野の学者の言葉を想起してみれば、それだけで充分な証左となろう。
(田村隆一・あとがき)「全11巻完結にあたって」より
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