1973/5/3 第三回 教学部大会記念文集

「教学と私」全5巻  

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  〈口絵写真〉   戻る

第三回教学部大会記念文集「教学と私」1〜5巻 非売品
〈第1巻〉壮年部(p.743)
〈第2巻〉婦人部(p.688)
〈第3巻〉男子部(p.716)
〈第4巻〉女子部(p.574)
〈第5巻〉学生部・文化本部ほか(p.688)
  昭和48年(1973年)5月3日発行
  編集発行人 八矢洋一
  発行所 「教学と私」刊行委員会(聖教新聞社内)
  東京都新宿区信濃町18
  電話(353)6111(代表)
  凸版印刷株式会社

   はじめに

 令法久住へ、より深く、よりまばゆく花開く新章節は、「教学の年」で船出した。

 この新しい年は、創価学会の崇高な理念を行動の路線として、未来へレールを敷く作業を担いつつ、教学の振興へ大きく回転を始めたといってよい。昇りゆく希望の舞台は、限りなく広がり、一人ひとりは新鮮な誓いと不屈の信仰を起点に、静かにして熱情ある歩みを始めた。このような日々、信と行と学の原点に戻り、教学を肉化することが極めて肝要なことは必然のことであろう。

 本年の初頭を飾った「教学部大会」の席上、私は参加された方々全員に、「教学と私」というテーマで自らの思うままに筆をふるってはどうか、と提案申し上げた。全員が賛成してくださった。一人ひとりが「教学とは何か」、どれだけ自身の信仰の支えになってきたかを懐かしくも新たに認識し、学会の利剣ともいうべき教学を、いま一度世界に向かって堂々と宣揚する、原動力としていきたい。そして後世に、名もない庶民群の、美しくいさぎよい哲学求道者の歴史をとどめていきたいと思ったからだ。

 全国の同志からは、多忙極まるなか、千三百余の原稿が寄せられた。皆、貴重な生活体験から生まれた、実践の教学が息吹いているものばかりである。そこからは、無冠の哲人たちの、真実の叫びが伝わってきて心打たれる。私には永遠の仏法哲理を核に生き抜く信仰人の、清らかにも尊い、結晶を見る思いがするのである。迷い悩む今の世に、日蓮大聖人の「活の仏法」が生き生きと脈打っていることを痛感するのは私一人ではあるまい。創価学会の伝統の一つは、剣豪の修行を思わせる教学の研さんであった。その姿がこれらの文章からうかがえることは、非常に心強いし、また、うれしくもある。

 この文集は庶民がつづる“現代の万葉集”であるとみたい。庶民参加の大言論運動に咲いた幸せの花びらは、一つ一つの文字に結晶して躍っている。この文集は、そのまま庶民が築いた学会の未聞の広布史であり、時の経過と共にいよいよその輝きを増していくに違いない。

 日蓮大聖人が「三世諸仏総勘文教相廃立」のなかで述べられている「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書全集五六三ページ)を、鮮やかに想起するのは、私一人でなかろう。

 この民衆の記録を手にされる方々にあっても、この書が自身の生命の中に「教学と私」をつづる程になれば幸いである。なお、編集に際して、送りがな、句読点など、若干、文章の校閲がなされたところもあるが、おおむね原稿通り載せるよう配慮されている。

 最後に、多忙のなか執筆し、原稿を寄せてくださった方々に心からお礼を申し上げるとともに、八矢洋一、山本雅治、山崎良輔、松岡佑吉の諸氏が総力をあげて短期間のうちに発刊する運びになったことに、深く感謝の意を表したい。

 弥生九日
                   池田大作
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